病児保育と小規模認可保育園の株式会社マザープラネット代表 藪本敦弘(Yabumoto Atsuhiro) Official Web Site

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コミュニケーションは受け手がすべて

(この話は社内で以前議論をしたときのことを思い出して買いています。)

私は今も昔も、コミュニケーションは受け手がどう捉えるかが全てであり、そこに対してどう伝わったか?というのは送り手側に責任があると思っています。「そういうつもりじゃなかった」と言ってもそう伝わっていなかったら、それはコミュニケーションとして失敗であり、そこに受け手の責任は一切ないというのが私の基本的な考え方です。

 

人間同士のコミュニケーションには多くの技術がありますが、その中でも「言葉」を使ったものが非常に大きいのはご存知だと思います。

言葉というのは、自分の意志を相手に伝えるための技術です。相手にどのように動いて欲しいか?どうなって欲しいか?という想いを込めて語りかけるという技術です。

一方、言葉の受け手は基本的には「自分の聞きたいことしか聞かない」「自分に都合がよいように聞き取る」という傾向があります。これは誰が?ではなく、ほぼすべての人が無自覚に持っている特性です。ですので、よしんば耳に届いていても理解していないかもしれないし、理解していても拒否することもありえます。なので、言葉を送る側はそれを前提として、「じゃぁどうすれば、理解して、受け入れて、動いてもらえるか?」もっと深くいうと「受け手が送り手が望む行動をとってくれるようになるには、どのように言葉を選び、伝えていくことが必要か?」ということを強く意識しないといけません。

 

ちなみに、一時期当社の社内にこんなことをいう男性社員がいました。(結局、この社員は社内コミュニケーションを円滑にすることができず、当社を去りましたが、結果としてよかったと今では思っています。)

「コミュニケーションは受け手の努力も必要」

「受け手が送り手がどういうことを期待しているか、意図を聞く・状況を整理するなどして軌道修正をすることは受け手側の義務」

「受け手には拒否する権利がある。嫌と言っていないということは合意していると伝えていることと同じ」

確かに言葉のキャッチボールとしてのコミュニケーションがある以上、そうした相手の意図を汲むのはコミュニケーションを円滑にするために、受け手側も意識「したほう」がよいのはもちろんです。ただ、この点については私は100%間違っていると今でも思っています。なぜなら、受け手は送り手側の情報を持っていないから。ただ、この1点に尽きるのです。相手の状況や背景、なぜその言葉を出してきたのか?というところを汲み取る「努力」を受け手側に求めるのは、送り手側の「怠慢」でしかないからです。

もちろん、そうできるとなおコミュニケーションが円滑になるので、その行為自体を否定はしません。ただ、結局「伝わらなかった」ということは「伝え方が悪かった(送り手側が悪い)」というのは真理です。

 

 

私も20年近く昔ですが、自分の伝えたことが伝わっておらず、理解されず、「なんで俺の言っていることがわからないんだ?バカじゃないのか?」とか「レベルが低い」とか、今思えば相手に対して相当失礼なことを考えていた時期があります。今思えば非常に恥ずかしいところですが、それが「若さ」というものなのだと、今の職場などを見ながらふと思い返しています。

 

「言っているのは正論なんだけど、なんか嫌な感じがする。」

「いやいや、それってわかるけど、あなたに言われたくはない」

 

これは、昔(今から20年くらい前、20代前半くらい)の私の周囲からの評価です。 思い返せば、それは一番最初のコミュニケーションの段階で「相手を思いやる気持ち」というところが欠けた状態で仕事をしてきているのではないかと反省した自分がいます。もし、皆さんの中でも心当たりがあるようであれば一度振り返ってみてはどうでしょうか?

結局、こうしたコミュニケーションに関する不全だけでなく、世の中でいうところの色々なところの「コミュニケーション不足」や果ては諸々の「ハラスメント」とやらは、言葉に関わらず「受け手」を意識しない行動によって起きているのです。

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