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柏市・流山市で保育園・病児保育・学童保育・子育て支援分野で圧倒的地域No.1を目指す社長ブログ

言葉やフレーズに込められた意味と背景

私は対話を重要視しています。このブログもそうですが、メール・LINE・チャット・SNSなどなどの2バイト文字の羅列で言いたいことを伝えようとすると、どんなに丁寧に書き起こしても「誤解」を生むところが生まれてしまいます。ましてや、その文章を書くときに推敲していくなかで削ぎ落としていった想いや行間に込められた気持ちなどは、なかなか深く読み込んでもらえない限り伝わりにくいものだと思ってます。そして、何より一方通行であるということが物事をややこしくさせます。なので、極力対話ができるのであれば、対話で自分の考えや意見を伝えたいと思う人です。

対話であれば、話をしているときに相手の表情・仕草・態度・空気感といったものを感じ取って、言い直しをしたり、フォローを入れたりもできますが、こうした2バイト文字の羅列になるとそれは難しいです。

その上で、たまに思うときがあるんですが、単語やフレーズの表面的な意味だけを根拠に、自分の正義をぶつけてくる人っていませんか?

例えばですが、ある会社が「従業員の幸せを追求します」という理念を掲げていたとします。で、そこに待遇に不満を抱く社員が噛み付くわけです。「俺は幸せじゃない。この理念は嘘なのか?」という感じですね。

ここまでおバカな人はそうそういませんが(まぁ、いなくもないか。。。)、これに似たような論法を使って自分のエゴや希望を他人に認めさせようとする人が散見されます。これってどうなんでしょうか?

確かに先の例であれば、文字通り取れば「社員の幸せを追求する」ということになりますが、その文字通りとってよいのでしょうか? この例であれば、まず前提条件として「会社の経営が傾かない範囲で、かつ公平に」という意図が隠れている場合が多いのではないでしょうか? 仕事に熱心に取り組む社員も、そうでない社員もあまねく全社員の「幸せを追求する」とは一言も言ってないわけです。また、会社の制約条件の中で「できる範囲で」ということもあえて書いていないのです。

こういうコミュニケーションを取ると、正論ではありますが「それは言ったけど、XXXXという背景もあって、XXXXという制約条件もあってね」という話になり、言われたので説明する側も大変ですし、最終的にその人のことをめんどくさくなってきたりすることが往々にしてあると思うのです。

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