20Jan
「この件については説明がまだ不十分ではないか?」
国会中継のTV、ニュース番組、会社の会議(今は自社内ではないが、以前の会社ではよく聞かれたセリフ)の中でもよく聞かれる言葉です。ただ、その後のコメントを聞いていたりすると、情報を得て状況を理解したいと思っているよりは、むしろ「反論の糸口」を探しているような気がしてならないです。よくよく前後の話や、過去の説明をつなぎあわせると、「あぁなるほど、そういうことを言いたかったのか」ということが分かるのですが、そういう言葉を使っている人でそういった努力をしているように見えないケースも多いように見えます。
特に、感情的になりやすい題材だったりすると、「まず反論ありき」で説明を聞いていたりするものだから、正直タチが悪いです。そうなると説明する側としても、どうせ説明しても意味がないから、反論の糸口を与えたくないからという心理が働くため、言葉として少しモヤッとした表現を使ったり、あえて大切な情報をオブラートに包んで話をしたりしてしまいます。こうした会議などにおけるコミュニケーションは「反論をするため」ではなく、「情報を集めて判断するため」であるはずなのに、結果として「正しい情報」が「正しく伝わる」のが難しくなるような関係を、聞く側が基本姿勢として作ってしまうのは非常に非生産的だし、双方にとって無駄な時間だと思う。
「説明がしっかりされていない」というのであれば、なぜそう思ったのか? そこに自分なりの「仮説」があるはずで、それを元に反論や疑問を投げかけ、最終的には「理解」し「納得」したいという姿勢を持ち続けることこそが大切ではないかと思います。