10Feb

昨年11月くらいから、次女を駅まで車で送るのが毎朝のルーティンになっています。
最初は「通学くらい一人で歩いていけるだろう」と思っていたけれど、次女からの要望もあり、それで遅刻せずに学校に行けるなら、と始めたルーティンです。確かに、朝の時間は何かと慌ただしいし、雨の日や寒い日なんかは特に送っていったほうが楽だなとも思います。そして、こうして車の中で話す時間も悪くない。いや、むしろ貴重な時間なのかもしれないとも感じています。
子どもってあっという間に大きくなるなぁ、と最近つくづく感じています。
長女のときもそうだったけれど、気がついたら「もうこんなに大きくなったの?」と思うことばかり。小さな手を握っていた頃がつい昨日のことのように思えて、でも今はすっかり大人びた口調で話す。
親としてはちょっと寂しいような、でも誇らしいような、不思議な気持ちだ。
朝の送りの時間は短いけれど、何気ない会話をする10分弱の時間。
ほんとに何気ない話がほとんどだけれど、その何気なさが大切なんだと感じています。
以前は、子どもが小さい頃のほうが親子の時間を大事にしなきゃと思っていました。
でも、思春期になっても、いやむしろ思春期だからこそ、こういうささやかな時間が大切なのかもしれないなと思うのです。
大きくなるにつれて、親と話す時間はどんどん減っていきます。
自分の世界が広がり、友達との時間が優先されるようになり、親の存在はどこか遠くなっていく。でも、朝の送りの時間だけは、親子二人だけの時間。ほんの10分弱のドライブだけれど、これがあることで、一日の始まりが少し穏やかになる気がします。
それと、こうした送り迎えをすることで、ほんのわずかでも子どもの生活に寄り添えている感じがします。
単なる親の自己満足かもしれないけれど、「ちゃんと見てるよ」というメッセージにもなっているのかなとも思うのです。
このルーティンも、きっとあと数年のこと。
高校を卒業し大学生になればもう親が送る必要なんてなくなるかもしれない。そう考えると、この毎朝の送りもいつかは終わるものなんだな、と少し寂しくなります。でも、その日が来るまでは、もう少しだけこの時間を大切にしたいと思う今日このごろ。
いつか「お父さん、送ってくれてありがとう」と言われる日が来るのかどうかはわからないけれど、少なくとも今は「行ってきます」と笑顔で手を振ってくれる次女の姿を見送るだけで十分だと思って、急もハンドルを握るのです。