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自分から訊きにいくという当たり前

仕事の現場で、そして特に人材育成の文脈で、何度も耳にする言葉があります。
「聞いていませんでした」「教えてもらっていません」「言われなかったので分かりませんでした」。
この言葉が出てくるたびに、私はいつも考えさせられます。それは“事実”としては正しいかもしれない。しかし、“社会人として正しいか”と問われると、答えはまったく別になる、ということです。

社会で働くということは、誰かに守られた学習環境に身を置くことではありません。学校でもなければ、訓練施設でもない。もちろん、育成や指導は必要です。しかしその前提として、「自分から情報を取りに行く」「分からないことは自分で訊く」という姿勢がなければ、仕事は成立しません。
本稿では、「自分から情報を取りに行く」「分からないことは訊く」という、あまりにも当たり前でありながら、なぜか軽視されがちな社会人の前提について、保育業界の現状や自社の経験も交えながら掘り下げていきます。

社会人とは「待つ立場」ではなく「取りに行く立場」である

社会人と学生の違いは何かと問われたとき、多くの人は「責任の重さ」や「結果が求められること」を挙げます。しかし、それに加えて重要な違いがあります。それは、情報に対する立ち位置です。

学生は、基本的に「教えてもらう立場」です。何を学ぶか、いつ学ぶか、どこまで学ぶかは、ある程度あらかじめ用意されています。

一方、社会人は違います。仕事に必要な情報は、必ずしも整った形で与えられるとは限りません。むしろ、断片的で、不完全で、時には矛盾した情報の中から、自分で必要なものを拾い集めていくことが求められます。

にもかかわらず、「言われなかった」「教えてもらえなかった」という言葉が出てくる背景には、どこかで「待っていれば誰かが教えてくれる」という前提が残っていることがあります。しかしその前提は、社会では通用しません。
なぜなら、仕事とは「自分の判断と行動が、誰かに影響を与える行為」だからです。情報を取りに行かなかった結果、判断を誤れば、その影響はこどもや保護者、同僚、組織全体に及びます。そのとき、「知らなかった」「教わっていない」という理由は、免責にはなりません。

「訊く」という行為は、依存ではなく責任である

ここで強調しておきたいのは、「分からないことは訊く」という行為の意味です。
これは、甘えでも依存でもありません。むしろ、責任を果たすための行為です。

あえて「聞く」でも「聴く」でもなく、「訊く」と書きたいのは、この行為が、受動的な姿勢ではなく、能動的な意思を伴うものだからです。「分からないので教えてください」という一言には、「このまま曖昧な状態で仕事を進めることはできない」という判断が含まれています。それは、自分の仕事に対して責任を持っている証拠です。

一方で、「訊かない」という選択をしてしまう理由も、現場ではよく見かけます。
忙しそうだから遠慮した。
怒られそうだから聞けなかった。
こんなことを聞くのは恥ずかしいと思った。
どれも人として自然な感情です。しかし、その感情を優先した結果、仕事の質が下がったり、誰かに迷惑をかけたりするのであれば、その判断は社会人として適切だったとは言えません。

訊くことは、勇気がいります。時間も使います。場合によっては、自分の未熟さをさらすことにもなります。それでも訊く。それが、大人として、社会人として、責任を引き受けるということです。

保育という世界で「当たり前」が育ちにくい構造

その一方で保育という世界に目を向けると、この「自分から情報を取りに行く」「分からないことは訊く」という当たり前が、育ちにくい構造があることも事実です。保育士の多くは、若い段階から現場に入り、日々の業務に追われながら仕事を覚えていきます。体系的な社会人教育を受ける機会は、決して多くありません。

また、保育の現場は「察する文化」が強い傾向があります。こどもの気持ちを察し、保護者の不安を先回りして汲み取る。その専門性は非常に重要ですが、その感覚が職員同士の関係にも持ち込まれると、「言わなくても分かってほしい」「聞かなくても察してほしい」という期待が生まれます。
その結果、訊くことが少しずつ難しくなっていく。分からないまま仕事を進め、「後で何とかなるだろう」と自分を納得させてしまう。この積み重ねが、ミスや不信感につながっていきます。

自社では、この構造を前提として捉えています。だからこそ、「社会人として当たり前のことを、当たり前にやる」という文化を、意識的につくっています。分からないことを訊くことは評価される行為であり、曖昧なまま進めることの方が問題である。そのメッセージを、日々の指導や対話の中で繰り返し伝えています。

「教えてもらえない」のではなく、「取りに行かなかった」だけかもしれない

最後に、少し厳しい視点も書いておきたいと思います。
「教えてもらえなかった」という言葉は、とても便利です。自分のミスや判断不足を、外側の要因に置き換えることができるからです。しかし、その言葉を使った瞬間に、自分の成長の機会は失われます。

社会では、情報は常に開かれているとは限りません。忙しさや立場の違い、経験の差によって、説明の濃淡は必ず生まれます。その中で、自分に必要な情報をどう取りに行くか。誰に、いつ、どのように訊くか。その判断も含めて、仕事です。

大人とは、完璧な存在ではありません。分からないことだらけです。だからこそ、分からないことを分からないままにしない。自分から情報を取りに行き、訊くべきことを訊く。その積み重ねが、信頼を生み、仕事の質を高めていきます。

「言われなかった」「教えてもらえなかった」という言葉が頭に浮かんだとき、少しだけ立ち止まって考えてみてほしいのです。
自分は、本当に取りに行っただろうか。
訊くべき相手に、訊く努力をしただろうか。

その問いを引き受けるところから、社会人としての成長は始まります。
自分から情報を取りに行くこと。分からないことは訊くこと。
それは特別な能力ではありません。ただの当たり前です。そして、その当たり前を引き受けられるかどうかが、大人であるかどうかの分かれ道なのだと、私は思っています。

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