23Jan

「優しい人ですね」「思いやりがありますね」。
私たちは日常の中で、この二つの言葉をほとんど同じ意味のように使っています。人を評価するとき、関係を語るとき、どちらも肯定的な言葉として、深く考えられることなく並べられます。しかし、この二つは本質的にはまったく違う概念であり、その違いをどう理解しているかによって、人間関係の質も、チームや組織の健全性も、大きく変わっていきます。
とくに、人と人との関係性を基盤として成り立つ現場、たとえば保育や教育、福祉、あるいは組織運営の場では、この違いを曖昧にしたまま進むことが、後になって深刻な歪みを生むことがあります。表面的には穏やかで、トラブルも少ない。しかし内側では、違和感が積み重なり、誰もそれを言葉にできないまま、関係が静かに疲弊していく。本稿では、「優しさ」と「思いやり」を感情論としてではなく、構造と姿勢の違いとして捉え直し、その違いがなぜ重要なのかを掘り下げていきます。
優しさとは「今を荒立てないための行為」になりやすい
まず「優しさ」について考えてみます。
多くの場合、優しさとは「相手を傷つけないこと」「不快な思いをさせないこと」「場の空気を壊さないこと」として理解されています。相手が嫌がりそうなことは言わない、問題があっても指摘しない、衝突を避ける。このような振る舞いは、確かに短期的には関係を円滑に見せます。
しかし、この優しさは、判断基準が非常に限定されています。それは、「今この瞬間、どう感じさせるか」です。相手が今どう思うか、今この場がどうなるか。そこに意識が集中すると、言うべきことを言わない、見て見ぬふりをする、判断を先送りにすることが、あたかも善であるかのように正当化されていきます。
結果として、優しさは「衝突を避ける技術」にはなりますが、「関係を育てる力」にはなりにくい。問題は解消されないまま、水面下に押し込められ、後になって別の形で噴き出します。そのときには、誰もが「なぜこんなことになったのか分からない」と感じますが、実際には、優しさによって語られなかったことが積み重なった結果なのです。
思いやりとは「相手の未来を引き受ける姿勢」である
一方で、思いやりは、優しさとはまったく違う軸で成り立っています。
思いやりとは、「相手が今どう感じるか」だけでなく、「この先どうなるか」「この人にとって何が本当に必要か」を考えたうえで行動する姿勢です。そこには、短期的には嫌われるかもしれない、理解されないかもしれない、関係が一時的にぎくしゃくするかもしれない、というリスクが含まれます。
思いやりは、必ずしも柔らかい言葉や穏やかな態度として表れるとは限りません。ときには、耳の痛い指摘や、不都合な現実を伝えることになる場合もあります。それでも踏み込むのは、「今ここで言わなければ、もっと大きな問題になる」「この人の可能性を閉ざしてしまう」という判断があるからです。
思いやりとは、感情の問題ではなく、覚悟の問題です。
相手の反応を引き受ける覚悟、関係が揺らぐことを引き受ける覚悟。その覚悟を伴わない優しさは、しばしば自己防衛へと変質していきます。
優しさが集まると、なぜ現場は停滞するのか
職場やチームで、「優しい人ばかり」の環境が、必ずしも良いとは限りません。誰も否定しない、誰も強く言わない、誰も踏み込まない。表面的には穏やかで、トラブルも少ないように見えます。しかし、その内側では、別の問題が進行しています。
問題点が共有されないまま放置される。改善点が見えていても、誰も言語化しない。結果として、「なんとなくうまくいっていない」という感覚だけが残り、原因が分からないまま疲弊していきます。この状態では、真面目な人ほど苦しくなります。自分だけが違和感を覚えているように感じ、声を上げることをためらうからです。
優しさは、集団になると「沈黙の同調圧力」に変わることがあります。誰も悪気はない。むしろ、みんな良かれと思っている。しかし、その結果として、組織は少しずつ動かなくなっていく。ここに、優しさの落とし穴があります。
思いやりがある現場には「対話の摩擦」が存在する
思いやりが根づいている現場には、ある共通点があります。それは、「対話に摩擦がある」ということです。意見がぶつかることもありますし、耳の痛い話が出てくることもあります。しかし、その摩擦は破壊的なものではなく、関係を前に進めるための摩擦です。
思いやりのある人は、「言わない方が楽だ」という誘惑よりも、「言わなかった結果」を想像します。今は穏やかでも、このままでは誰かがもっと困るのではないか。組織として歪んでいくのではないか。その未来を避けるために、あえて踏み込みます。
保育の現場で言えば、職員同士の関係でも、保護者との関係でも同じです。短期的な満足や表面的な安心を優先するのではなく、こどもにとって、チームにとって、長期的に何が大切かを軸に判断する。その姿勢が、結果として信頼を積み上げていきます。
優しさは自分を守り、思いやりは関係を育てる
ここで、さらに一段踏み込んで考えてみます。
優しさが過剰になる背景には、「嫌われたくない」「関係を壊したくない」という自分自身の不安があることが少なくありません。つまり、優しさは無意識のうちに「自分を守る行為」になりやすいのです。
一方で、思いやりは、自分が傷つく可能性を含んでいます。相手にどう受け取られるか分からない、関係が一時的に悪くなるかもしれない。それでも関係の質を信じて踏み出す。ここには、自分よりも「関係そのもの」や「相手の未来」を大切にする視点があります。
優しさが悪いわけではありません。状況によっては、優しさが必要な場面もあります。しかし、優しさだけで関係を維持しようとすると、どこかで無理が生じます。思いやりとは、その無理を引き受ける姿勢だと言えるかもしれません。
思いやりは、相手を信じていなければ成立しない
思いやりには、もう一つ重要な前提があります。それは、「相手が受け取れる存在だと信じていること」です。相手が成長できる、理解できる、変わる可能性があると信じていなければ、厳しい言葉や踏み込んだ関わりは成立しません。
逆に言えば、何も言わない優しさの裏側には、「言っても無駄だ」「分かってもらえない」という諦めが潜んでいることがあります。その諦めは、相手を尊重しているようでいて、実は可能性を低く見積もっている状態でもあります。
思いやりとは、相手を信じる行為です。
その信頼があるからこそ、対話が成立します。
優しさと思いやりを取り違えないために
最後に、あらためて整理しておきたいと思います。
優しさは、今を穏やかにします。
思いやりは、未来を支えます。
優しさは、衝突を避けます。
思いやりは、必要な衝突を引き受けます。
優しさは、関係を壊さないようにします。
思いやりは、関係を育てようとします。
どちらも人間関係には欠かせない要素ですが、同じではありません。この違いを意識せずに使っていると、「優しいはずなのに、なぜか苦しい」「思いやっているつもりなのに、伝わらない」というズレが生まれます。
保育の現場に限らず、人と人が関わるあらゆる場面で、この二つをどう使い分けるかは、関係の成熟度を映す鏡のようなものです。
今、自分がしているのは優しさなのか、それとも思いやりなのか。
その問いを持ち続けることが、健やかな人間関係と、強いチームを育てていくのではないでしょうか。


