24Jan

日銀が政策金利を0.75%程度に据え置いたというニュースを受けて、多くの論調は「慎重」「様子見」「経済への配慮」といった言葉でこの判断を語っています。しかし、私はこのニュースを読みながら、別の違和感を覚えました。それは、「そもそも、ここまで慎重にならなければならない社会の状態そのものが、極めて異常なのではないか」という違和感です。
約30年にわたって続いたゼロ金利、超低金利政策。これは単なる金融政策の一つではありません。金融という、社会における血液循環を担う仕組みが、本来の機能を果たさないまま、長期間放置されてきた状態です。血液ポンプが弱まり、循環が止まりかけた社会では、わずかな変化ですら「打撃」として恐れられるようになります。
私は、ゼロ金利を「仕方のない時代背景」として肯定的に捉えることはできません。それは、社会全体が本来引き受けるべき緊張感や選別、責任を先送りしてきた結果だと考えています。そしてこの構造は、保育園経営を含む、あらゆる事業経営と深く重なっています。
ゼロ金利が奪ったものは「判断の緊張感」である
ゼロ金利が続いた30年間、日本社会は「お金の重み」を感じにくい状態に置かれてきました。借りることの痛みがなく、投資と回収の厳しさも薄まり、結果として「選ばれる」「淘汰される」という当たり前の市場原理が、十分に機能しなくなっていきました。
これは金融の話にとどまりません。お金に緊張感がなくなると、判断全体が緩みます。やらなくても生き残れる、決めなくても致命傷にはならない、先送りしても何とかなる。そうした空気が、社会の隅々まで浸透していきます。
保育業界も例外ではありません。制度に守られ、資金調達のハードルも低く、事業としての厳しさよりも「想い」や「善意」が前面に出やすい環境が続いてきました。その結果、経営判断の緊張感が失われ、「続けること」そのものが目的化してしまった園も少なくありません。
ゼロ金利が奪ったのは、単なる利息ではありません。判断に伴う責任と覚悟です。
利上げは「脅威」ではなく「正常化への第一歩」である
今回の利上げ、あるいは利上げを見据えた動きに対して、「経済への打撃」「現場への影響」を過度に恐れる声があります。しかし私は、利上げをネガティブなものとしては捉えていません。むしろ、社会が少しずつ正常な状態に戻ろうとしているサインだと受け止めています。
血液ポンプが正常に動き出せば、一時的に痛みは伴います。しかし、それは循環が戻る過程で避けられないものです。問題なのは痛みそのものではなく、痛みを引き受ける覚悟があるかどうかです。
保育園経営者として見れば、金利上昇は確かに負担です。借入コストは上がり、資金繰りにも影響が出ます。しかし、それは「経営が経営として機能しているか」を問われる局面でもあります。安いお金に依存した成長、借り続ける前提の事業設計、返済計画を曖昧にしたままの拡大。そうした姿勢が、ここで一度、問われるのです。
利上げとは、社会からのメッセージです。
「その判断、本当に責任を引き受けていますか」
この問いから目を逸らしてはいけません。
不安で止まるか、責任で引き受けるか
利上げ局面に限らず、経営判断に不安はつきものです。問題は、不安を理由に判断を止めるのか、それとも不安を抱えたまま引き受けるのか、その違いです。
「職員が不安になる」「保護者に説明が難しい」「行政との関係が心配だ」。こうした声は、保育園経営の現場でも日常的に聞こえてきます。しかし、それらを理由に判断を先送りし続ければ、結果として不安は増幅します。なぜなら、決めないこと自体が、最大の不確実性を生むからです。
大人とは、感情で判断する存在ではありません。
大人とは、責任で判断する存在です。
責任で判断するとは、その判断がもたらす結果を、他人や制度のせいにしないことです。環境のせいにしないことです。金利のせい、政策のせい、業界のせいにせず、「それでも自分はどうするのか」を問い続ける姿勢です。
正常な社会とは、判断が引き受けられている社会である
ゼロ金利という異常な状態が長く続いた社会では、判断が引き受けられない構造が当たり前になります。誰かが守ってくれる、制度が何とかしてくれる、最悪の場合は先送りできる。そうした前提のもとでは、大人は育ちません。
保育園経営も同じです。補助金、制度、行政。これらは重要な基盤ですが、経営判断の代わりにはなりません。最終的に責任を引き受けるのは、経営者です。そしてその姿勢は、必ず現場に伝わります。
利上げをどう受け止めるか。
それは単なる経済観の違いではなく、経営者としての成熟度の違いです。
不安で社会を止めるのか。
責任で社会を前に進めるのか。
ゼロ金利という異常を終わらせる動きは、痛みを伴います。しかしその痛みを引き受けることなしに、健全な循環は戻りません。保育園経営者として、そして一人の社会人として、この局面をどう引き受けるのか。その姿勢こそが、これからの経営を分けていくのだと、私は考えています。




