1May
最近、国もビックベンチャーを育てようと起業を後押しするような施策を矢継ぎ早に繰り出しています。
私が起業をしたときは、暗黒の民主党政権時代の真っ只中で、政府のバックアップはおろか、会社を辞めて起業するなんて正気の沙汰ではない。と言われたくらいで、いい時代になったなぁとつくづく最近感じています。
私は起業をすることに対する社会的・心理的なハードルが下がることはとても良いことだと思っています。
私のところにも、年齢のせいなのか色々な「起業家」が相談に来てくれて、その人達の話を聞かせていただくことも多く、とてもありがたいと思っています。
しかし、そうした心理的なハードルが下がったゆえなのか、近年では「とりあえず起業します」や」「自分らしい私のために起業」という声も聞こえてきており、正直それはどうなのか?と思うところも多いです。
簡単に起業ができる時代
確かにそうした時代になってきて、かつて起業した身としては好ましく思っているものの「簡単にできる=とりあず起業」「簡単にできる=現実逃避という自分探しの手段として起業」というのはちょっと違うのではないかとも思っています。
そもそも、そうしたインスタントに起業を志す人は、「起業」という本来の意味を理解しているのだろうか?
起業とは目的ではなく”手段”です。
重要なのは、自分が「”社会に対して”何をしたいのか?」という「社会に提供したい価値」です。
その目的達成のために起業というものが最適解だと信じられるのであれば、起業をする意義はあると思います。
しかしながら、起業せずに今の自分のポジション(仕事・役職・地域での役割など)で、それは本当に達成は難しいのだろうか?
そうした自分との向き合いを放棄し、現状からの逃避行動の一種として、キラキラした(ように本人たちには少なくとも見えている)「起業」という手段に逃げているのではないだろうか?
実際、起業をしてみて会社で勤め続けることのありがたさを身にしみている。
諸先輩方が作り上げた法人としての信用の上で、個人ではできない規模の仕事ができます。
金融機関からお金を借りるという行為も直接的には必要ありません。
税金や社会保険料は天引きされるものの、その支払に頭を悩まされるようなこともありません。
起業するよりも手厚い福利厚生があります。
研修を含めて自己研鑽を会社のお金で行うことができます。
なにより、少なくとも、毎月給料は決まった日に入金され、生活は「安定」はします。
あえて、会社で働くという環境を捨ててまで、あなたのその「起業」は「やりたいこと」なのだろうか?
会社で働くという環境において、あなたの「やりたい」は本当に実現できないのだろうか?
そうした考察をせずに、「起業して社長になりたい」「今の自分は本当の私じゃない」などの、一時的な感情で起業を志すと今まで「当たり前」にあったこうした便益を一気に失ったときに、その差に愕然とすることになります。
事実、そうして起業が想像していた以上に非常に泥臭く、キラキラしておらず、幻想に敗れ就職に戻る「起業家」も多いです。
また、こうした手段先行の起業をした人は総じて粘りがないです。
なぜなら、「起業が目的」になっているからです。
「やりたいこと(社会的価値の創造)」を原点にしている人にくらべて、「起業目的の人」は、逆境に極めて弱いと感じます。
例えば、ちょっと売上が予定よりも伸び悩んだときに、すぐにその事業に見切りを付けて、別の事業へピポットしようとします。事業のピポット自体は悪くないのですが、その考察が極めて浅く・他責であることが多いと感じます。
土壇場での粘り・踏ん張りはその人自身の「本気でやりたいか?」というところに、やはり大きく影響します。
起業も会社で働くのも、結局は「目的」を達成するための手段でしかありません。
起業は決してキラキラしてません。むしろ苦しいことばかりです。
起業は自分探しのツールでもありません。
起業は起業することがゴールでもありません。
起業を志すことは大歓迎ですが、インスタントに起業をしてドヤられるとどうにも言い表せないような気持ちになります。