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保育がサービス業として語られるようになって、私たちは何を失ったのか

いつからだろう。
保育の現場で何かを決めるとき、「それは保護者がどう思うか」という言葉が飛び交うようになったのは。

保護者の思いを大切にすること自体を否定したいわけではありません。むしろ、そこに向き合わずに成り立つ保育など存在しません。ただ、その言葉が判断の出発点になった瞬間に、私はいつも小さな違和感を覚えます。それは本当に、保育としての判断なのだろうか。こどもにとって必要なことと、満足してもらうことは、いつも同じ方向を向いているのだろうか。

「選ばれる園」「満足度」「サービス向上」などなど
こうした言葉が当たり前になった今、保育は知らず知らずのうちに、サービス業の文脈で語られるようになりました。その変化は急激ではありませんでした。誰かが旗を振ったわけでもありません。善意と配慮と努力の積み重ねの中で、静かに進んできたものです。

だからこそ、立ち止まって考える必要があるのだと思います。
保育がサービス業として語られるようになったとき、私たちは何を失ってきたのか。
そして、それは本当に、失ってよかったものだったのか。

保育が「選ばれるサービス」になったとき、判断はどこへ行ったのか

サービス業の基本は、顧客満足です。顧客の声を聞き、期待に応え、不満を減らす。この構造自体は、社会を回すうえで欠かせないものです。しかし、この構造を保育にそのまま当てはめたとき、決定的なズレが生じます。

保育における「利用者」は保護者です。
しかし、保育の主語はこどもです。

この二つは重なることもありますが、常に一致するわけではありません。こどもにとって必要な経験は、必ずしも心地よいものばかりではないからです。待つこと、我慢すること、うまくいかないこと、失敗すること。発達の過程では欠かせないこれらの経験は、ときに保護者の不安や不満を呼び起こします。

「かわいそう」「嫌な思いをさせたくない」。
そうした感情は自然です。しかし、その感情が判断軸そのものになったとき、保育は揺らぎ始めます。「何が必要か」ではなく、「どう思われるか」で決める構造に入ってしまうからです。

この構造は、保育士個人の価値観の問題ではありません。行政評価、指導監査、利用調整、補助金制度、そしてクレーム対応。あらゆる外圧が、「問題を起こさないこと」「不満を生まないこと」を強く求める方向に作用しています。その結果、現場の判断は少しずつ、しかし確実に、保護者満足という一点に引き寄せられていきます。

制度が善意を前提に設計されたとき、現場は責任を失う

保育制度の多くは、善意を前提に設計されています。保育士はこどものことを思って判断する。事業者は誠実に運営する。行政は現場を信頼する。その前提があるからこそ、制度は細かく縛りすぎず、一定の裁量が与えられてきました。

しかし、善意を前提にした制度には、必ず影の側面があります。それは、「責任の所在が曖昧になる」ということです。

判断しても、説明しなくていい。
判断しなくても、咎められない。
前例に従っていれば、誰も責任を取らなくていい。

こうした状態が続くと、現場から「考える力」が失われていきます。制度を守ることが目的になり、制度の中で最善を探す視点が消えていく。行政もまた、「問題が起きなければよい」という評価軸から抜け出せなくなります。

結果として、誰も悪くないのに、誰も引き受けない構造が出来上がります。
これは、現場の未熟さではありません。制度設計の帰結です。

人材育成が「守ること」になった瞬間、人は育たなくなる

保育士の育成において、近年強く意識されているのは「守ること」です。傷つけない、否定しない、無理をさせない。これらは大切な配慮です。しかし、それが行き過ぎたとき、人は育たなくなります。

人は、判断することでしか育ちません。
判断するとは、責任を引き受けることです。

ところが、現場では「判断させない育成」が増えていきます。失敗させないために決めさせない。トラブルを避けるために考えさせない。その結果、保育士は「訊くこと」も「決めること」もできなくなっていきます。

保育士は本来、こどもの発達・発育を支援するプロフェッショナルです。高度な観察力と解釈力を持っています。しかし、その力は大人同士の関係では、しばしば弱点になります。「察する」「空気を読む」ことが優先され、「分からないから訊く」「違うと思うから言う」という行動が抑制されるからです。

守る育成は、優しさではありますが、思いやりではありません。
思いやりとは、相手が自立するために、責任を渡すことです。

経営とは、満足度ではなく「引き受ける構造」をつくること

保育をサービス業にしないために、最終的に問われるのは経営の姿勢です。経営とは、理念を語ることではありません。構造をつくることです。誰が判断し、誰が責任を引き受けるのか。その設計こそが、現場の行動を決めます。

満足度を最優先にすれば、判断は現場から消えます。
責任を引き受ける構造をつくれば、判断は現場に戻ります。

自社では、感情で判断しないこと、好き嫌いで動かないこと、分からないことは訊くことを、徹底して伝えています。これは厳しさではありません。判断から逃げ続けることのほうが、結果として人を壊すからです。

保育は、こどもの人生に介入する仕事です。
介入する以上、そこには必ず責任が生じます。

保育がサービス業として語られるようになってから、私たちは少しずつ「判断しないこと」に慣れてきたのかもしれません。何が必要かより、どう思われるか。その積み重ねの先に、いまの現場のしんどさがあります。

それでも、保育が専門職である以上、どこかで立ち止まり、選び直さなければならない瞬間があります。
何を守る仕事なのか。
何に対して責任を持つ仕事なのか。

その問いを引き受ける覚悟があるかどうか。
そこに、保育がサービス業に堕ちるか、専門職として立ち続けるかの分かれ道があるのだと思います。

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