4Feb
これは京セラの創業者である稲盛和夫の言葉です。私はこの言葉はとても好きです。
なので、私は自分が迷いながら行動を決意する時によく自分の考え方や行動・気持ちのあり方をチェックするために使っている言葉でもあります。
これは私の解釈なので、人によっては「それ違うよ」と言われるかもしれませんが、私はこの言葉をこう解釈しています。
私欲で行動を起こすのが悪いと言っているつもりはありません。
人間なので少なからず「大義名分に隠した本音」というものはきっとあります。(極稀に、本当にこの人私欲がない人だなぁと思える尊敬できる方もいらっしゃいますが、我々凡人の大多数はこうだと思います。)ただ、それだけでは周囲の人を巻き込んでいくことはできません。人の共感を得ることはできません。いくら正論を吐いても、心の中で眉をしかめられたら意味がないと私は考えています。
それ故に、その行動や言動には「私(Private)」ではなく「公(Public)」がまず先にくるべきですし、私はできるだけそのように言葉を出そうと思っています。
そしてこれは個人同士の会話でも同じです。それは相手にどのような言葉を届けるか?という心根に近いところで大事にしないといけないことです。社内での会話でも同じで、大義名分を持ち出して相手に話をしてもその後ろに自分の「私欲」が見え隠れしていると、聞く側はその言葉や行動を信じてくれなくなる。ということだとも考えています。